保健体育の教諭になることが将来の目標だったので教員免許の取得出来ることとサッカーをやりたい思いがあったため、女子サッカー部のある吉備国際大学に入学しました。
私は1回生のインカレの前にフォワードからゴールキーパーへポジションを変更しました。
ゴールキーパーの止めることの楽しさがあり、ゴールキーパーで闘っていくと覚悟を決めました。
2回生のときに岡山国体の選手に選ばれました。
岡山選抜は当時Lリーグの湯郷Belleの選手と吉備国際大学の選手がチームとなり、国体へ出場しました。
大学生の時に兵庫国体、秋田国体、大分国体に出場しました。
このときに当時日本代表であったゴールキーパーの福元美穂選手と出会いました。
福元選手は鹿児島県出身で神村学園の先輩であり、私が中学3年生のときに神村学園に行く決断をしたのは当時のU-18日本代表の福元選手にようになりたいと思いがあったからです。
神村学園では一緒にはプレーはしていなかったため、国体で多くのことを学べるチャンスだと思いました。
国体の練習ではなでしこリーグの選手ばかりで、大学の練習とのレベルの差に驚きました。
練習前は全力を発揮するための身体の準備と練習では緊張感が常にあり、お互いに要求し合い、プロ意識を感じました。
私はこのときにゴールキーパーの見本となる福元選手とプレー出来たこと、質の高い練習が出来たこと、ゴールキーパーコーチに教ったことで出来ないことが出来る楽しさを知ったこと、質の高い練習で成長スピードが変わると感じました。
福元選手は練習で一本一本に拘ってプレーしていて、ピリッとした雰囲気がありました。
自分で高いレベルの環境に設定していて、モチベーションに左右されず、一貫してブレずにやり続けていていました。
国体の試合期間では岡山はセットプレーが強みだったのでセットプレーの練習が多く、福元選手にストーンの置き方やポジションの役割など、多くのことを教えてもらいました。
今でもその経験を活かして指導しています。
大分国体では民泊で同じ家に泊まることなり、試合前のセルフケアやサッカーの試合のための準備をする姿を見て、ここまで徹底するのかと驚きました。
私にとって国体の経験は大きく、私のサッカーの取り組む基準となりました。
国体を経験してから岡山湯郷Belleの試合を見にいくことが増やし、福元選手のコーチングを聞くため、コーチングが聞こえる座席を選んで試合を観るようにしました。
岡山湯郷Belleのサポーターの盛り上がりを見て、この中で私もプレーしたいという思いが強くなりました。
大学卒業するときには将来の目標が「保健体育の教諭」から「なでしこリーグで活躍する選手になり、日本代表になる」という目標に変えました。
大学生で当時Lリーグの環境で大会を通して学んだことはとても大きな経験となりました。