憧れであった神村学園へ入部することを決めました。私は高校は女子サッカー部のあるチームに入りたいと思っていました。鹿児島県は4つの女子サッカー部がある高校があり、神村学園と鳳凰高校は全国大会に出る強豪チームでした。
私は強豪校で日本代表を輩出している女子サッカー部に入りたいと思いがありました。
母の知人の先生に相談し、「サッカーするなら強いところに行きなさい。」と言われたこと、親が可能性を広げて高いレベルの高校の選択肢を与えてくれたことに感謝しています。
そして、私の選択として可能性があるなら神村学園に入りたいという強い思いを持って決断したことは今でも良い決断だったと思っています。
高校の進路の選択は私の人生の分岐点でした。その後の人生は変わっていたと思います。
ワクワクして入部すると同級生には県代表で全国大会に出場している選手が多くいました。遠いところでは静岡県から来ており、私は凄い世界に来たなと思いました。
私はこの仲間とサッカー、勉強、寮生活を共に過ごすと決意しました。
実際に練習が始まると私はレベルの差に驚きました。
ウォーミングアップを先輩から教えてもらった時にリズム感がなく、まったく出来ないことからスタートしました。
自分の実力と神村学園の実力の差を感じました。ここで3年間勝負するには練習するしかないと思いました。
寮生活は洗濯、朝の掃除、すべてが初めてのことばかりでした。
家族以外の人と生活を共にすることは自分のことだけではなく、チームを一番に考えて行動して生活をすることだと知りました。
この時に親が私のためにいろんなことをやっていてくれていたことを知り、親のありがたさを感じました。
この時の私はサッカーも寮生活も必死に目の前のことをやるしかないと思いました。
神村学園に入るときに可能性があるなら入りたいという自分の決意が責任となっていて頑張る原動力となっていました。あの時に自分で決めたことが高校3年間やり切れたと思っています。
私は神村学園に入ったときはフィールドプレーヤーでした。チームにゴールキーパーが1人しかおらず、フィールドプレーヤーの選手からゴールキーパーを探していました。
ユース年代になるとゴールキーパーはチームで必ず2人以上は必要となります。
出ている選手が怪我した場合、交代選手が必要となります。ゴールキーパーで大きく勝敗が決まります。
監督にゴールキーパーやってみないかと言われ、小学生の時にバレーボールをやっていたので反応には自信がありました。
やりたいという思いでシュート練習に入り、ゴールキーパーをしました。その時にボールを止めることがこんなに楽しいと思った瞬間でした。
止めることが楽しくてシュート練習が終わらないで欲しいと思うくらい楽しかったことを覚えています。
この楽しさから私のゴールキーパーをすることを決意しました。
ここからゴールキーパーとの出会いが始まりました。