私は鹿児島県志布志市で生まれ育ちました。
鹿児島県は気候が暖かく、人も温かく、食べ物は美味しく、とても素敵な街です。
私がサッカーに出会ったのは小学3年生の時です。足でボールを扱うことの難しさと同時にボールを蹴ることの楽しさを感じました。この時はゴールキーパーの存在を知りませんでした。
学校が始まる前、休み時間に男の子と一緒にボールを蹴っていました。
ボールを蹴ることが楽しくて早く休み時間にならないかなと思っていました。サッカーチームに入り、もっとサッカーをしたいと強く思っていましたが、私の地域にはサッカーチームがありませんでした。なんでサッカーはないのだろうと思っていました。やりたいことをやれない辛さを感じていました。
バレーボールとの出会い
体を動かすことが大好きなので球技スポーツを習いたいと思っていました。姉がバレーボールを習っていたため、通っている小学校のバレーボールチームに入りました。小学3年生から小学6年生までの4年間バレーボールをしていました。
バレーボールを習いながらもサッカーをしたい気持ちが強くありました。
バレーボールを始めて3年目の小学5年生の時、サッカーボールを蹴ることに慣れてきた私はバレーボールの練習中に足でボールを拾ってパスはできないかと考えていました。どうしたら足でボールを拾ってセッターにパスを出せるかバレーボールをしながらサッカーをすることができないか考えていました。
バレーボールで地区の決勝戦がありました。とても大切な試合で私は後衛の守備のポジションを任されました。役割はボールを拾ってセッターに返すことでした。
私にボールが来たときに私の頭の中にオーバーヘッドのイメージが流れました。一度もオーバーヘッドはしたことがなかったので 、イメージだけでボールを蹴りました。ボールは観客席の2階席まで飛んでいきました。今、思うとゾッとします。笑
会場は笑いの渦と同時に監督から叱られました。笑
叱られているときもオーバーヘッドがなぜ、できなかったのかを考えていました。
いつでもサッカーのことばかり考えてサッカーを専門的に知りたいと常に思っていました。
小学3年生から小学6年生のバレーボールの経験が
ゴールキーパーへと繋がる
バレーボールへの経験が後にゴールキーパーへ転向したきっかけとなっています。バレーボールでアタック練習をしていたのでサッカーでクロスなどの高いボールの落下地点に入ることが得意になりました。
バレーボールを小学3年生から小学6年生までの4年間プレーしてきて感じたことは、指導者が基礎を徹底して指導してくださったことが今でも体に染み付いていています。
大人になってバレーボールをしても基礎を鮮明に思い出します。そして、この年代での経験が一生ものだということが分かりました。
私は小学生の時、身体を動かすことが大好きで、休みの日は自然の中で遊んでいました。外で遊ぶことで五感が発達し感覚を体に取り入れること、専門的に指導するときは基礎を徹底することにより、選手の将来の道が大きく広がっていくことが出来ると確信しました。